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生い立ち

生い立ち

(写真は今朝撮った福岡空港の外観です。
もう完成して数年たつと思いますが、外壁を覆う計画と思われる植物たちが、なかなかワイヤーを上ってくれず、
いつまでも緑で覆われない、寂しい感じの外観です。
自然は人間の思い通りには動いてくれないよな~と、この外観を見るたびに思います。
本文とは全く関係ありません。)

それでは、本題、私の自己紹介です。
まずは生い立ちから。

私が生まれたのは、長崎県長崎市江川町です。
長崎市のイメージがある方はわかると思いますが、長崎市は坂道が多く、平地が少ない町です。平地が少ないので、家や建物を建てるのは、海沿いや川沿いの限られた平らな土地か、あとは山を切り開いて斜面に家を建てるか、とても土地利用が難しい町です。
建築の仕事を始めてから改めて考えると、長崎は本当に建築屋泣かせの町だなと思います。
最寄りの駐車場から何十mも歩かないと敷地に着かない、階段でしかアプローチできない、そんなところに、資材を搬入して家を建てるなんて、今の私の日常仕事からは想像もできません。

さて、
私が生まれた江川町は海に近く、私の家は小さな川の近くにありました。この家に住んでいたのは3歳ごろまでなので、家の記憶はありません。当時の写真を見ると、家の庭?には畑がありましたが、家自体の大きさは小さかったように思います。
私が生まれて半年後に、いわゆる「長崎大水害」が発生し、川の近くにあるこの家も床上浸水したようです。畳を上げて床下を乾かしている母親の姿が、当時の写真に残っていました。普段はほとんど水の流れがない近所の川(今思えば、川ではなくコンクリート3面張りの水路だったかもしれません)が氾濫したのだと両親が教えてくれました。
現在、私が住んでいるところも海の近く、川の近くです。私の自宅は、もし近くの川が氾濫して、家が水に浸かってしまったとしても大丈夫なように作りました。床下を水が通り抜けます。この話は、自己紹介とは別に「私が何を考えて家づくりをしているか」をまとめる際に書きたいと思います。

私の頭の中に残っている、この江川町の家の唯一の思い出は、両親に怒られて、タイル張りの寒いお風呂に閉じ込められたことです。泣き叫んで謝ってもなかなか許してもらえなかったように記憶していますが、今になって思い出すと、おそらく5分~10分ぐらいの短時間だったんだろうと思います。
ちなみに、今の自宅のお風呂はカギもないし、出入口も引き違い戸なので、誰かを閉じ込めたくても閉じ込めることができません(笑)
そして、壁も天井も床も(床はすのこですが)板張りなので、タイル張りのように寒くはありません。
(つづく)

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