
(写真は、先週、福岡ローカルTV局の情報番組に特集してもらったときの映像です。
地元のショッピングモールの中で「国際のど自慢大会」を開催したのですが、地元TV局に取材に入ってもらい、夕方の情報番組で10分程度の特集として取り上げていただきました。
「自分の母国語以外の言語で歌を歌う」イベントです。
日本人はもちろん、6ヵ国ぐらいの国籍の人たちが出場して、優勝した方はたしかフィジーの方でした。
私はこのイベントを主催している団体の会長をしています(^^;
写真もこのイベントも、本文とは全く関係ありません。ただの、私の近況報告です。)
さて、本文です。
江川町の家の話の続きです。
私の父親は、近所で親戚が経営するお米の小売店(いわゆる米屋)に勤めていました。
当時、お米は「専売」といって、許可を受けた店でしか販売してはならず、市民は専門の販売店でしかお米を買えませんでした。
つまりスーパーマーケットではお米を買えなかったということです。これは、お酒や塩、タバコなども同じですね。
この「専売」によって、近隣に競合店が乱立するようなこともなく、米屋はその立場を守られているようなもので、経営も成り立ちやすい仕組みになっていたようです。
今では、このような制度はありません。
小売店は、スーパーマーケットにシェアを奪われ、そのスーパーマーケットもさらに大きなショッピングモールに客を奪われ、今ではネット販売もあるし、小売業界は激しい競争の世界になっています。
コメ業界にも、この流れが起きました。
僕が小学生の時に、歴史的な米の不作の年があり、それを契機に「米の流通自由化」がスタートし、米屋を取り巻く環境は大きく変わっていきます。
スーパーで米の販売が解禁され、外国産の米も大量に出回ることなり、これはのちに、私の人生にも大きな影響を与えることになります。
父は熊本県の天草の生まれで、仕事も何度か転職をし、長崎に引っ越したのは、親戚が経営するこの米屋で働くためだったと聞いたような記憶があります。
父は、この時、仕事を探すという感覚ではなく、自分の店を持ちたいと考えていたらしく、親戚のお店に「弟子入り」して、客商売の修行をしていたんだろうと思います。
この「修行をする」という感覚は、現代ではどの職業においても薄れてきていると感じます。大工の世界でも同じです。
修行とは、自分自身を高めたいという覚悟をもって、自分の成長ために自発的に努力することだと思いますが、自分の成長を他人に委ねてしまっている人が非常に増えていると思います。
これは由々しき事態です。
これでは、日本の将来が不安です。
このままでは日本の職人文化は廃れていく一方でしょう。
さて、
私が3歳の時に、「ダイヤランド」という新興住宅街に引っ越しをすることになります。
父親が、新しくできたこの住宅街の中に、ダイヤランド唯一の米屋として「だいこくや」を開店することにしたからです。
(つづく)